得一法

 現成公案を詠む講座に行ってきました。講義メモです。

 「しかあるごとく、人もし仏道を修証(しゅうしょう)するに、得一法(とくいっぽふ)、通一法(つういっぷふ)なり、遇一行(ぐいちぎょう)、修一行(しゅういちぎょう)なり。これにところあり、みち通達(つうたつ)せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽(きゅうじん)と同生(どうしょう)し、同参(どうさん)するゆえにしかあるなり。得処(とくしょ)かならず自己の知見となりて、慮知(りょち)にしられんずるとならふことなかれ。証究(しょうきゅう)すみやかに現成(げんじょう)すといへども、蜜有(みつう)かならずしも現成(げんじょう)あらず、見成(けんしょう)これ何要(かひつ)なり。」

 * 法 :本当の在り方

 *得一法:一つの真実をいただく

 *通一法:一つにつながる

 *遇一行:一つの行い

 *修一行:一つの真実を全うする

 *みち:人の生き方

 *同生:重なって実現していくこと

 *同参:仲間と一緒に先生のアドバイスを受ける

 *得処:修行で発見した知識で、自分は特別、素晴らしいと思いあがってはいけない。謙虚でなければいけない。

 *慮知:自分で分かっている。コントロールできると思いあがってはいけない。

 *しらるるきはのしるからざるは:修行者自身に行先は、わからないまま。実感がないまま。どこまで行けばいいのか、人間にはわからない。死の場面も、その先どうなるか分からないまま生きて居る。人間は、命のマラソンをわからないまま走っている。それは、修行と同じである。

 *証究:奥深い本当の生き方を明らかにする究極の姿。

 *蜜有:生き方が、本物の自分と親しくなって行く。私たちが仏と親しくつながる生き方。

 *見成:悟りを得る。仏そのものの状態いなっている。仏そのものとつながって一体化していく。非常に難しいこと。

  このようであるから、私たち人間が仏の生を証して生きるなら、

 それは仏の生き方をしたことになる。

  その人が、私を誠実に生きれば今ここで実現するのである。

  今の生き方から始まるのが大事。

  一つの法をいただく、

  一つの真実と出合うことで私たちは生き方をいただく、

  本当の在り方とつながっていく、

  一つの真実と一体となることで、信実とつながるということ。

  修行する人の人生は、一つ一つの行いが修行になる。

  真実とつながっている人は、修行そのものである信実を生きることができる。

  それが仏の歩みとなる。ここに本当の生き方がある。

  

 人間は生まれて来ただけで周りに良い。

 本物の人間になるためには、十数年かけて真剣に生きていかないと人間になれない。仏として生まれて来るけれど、本当のまっとうな人間になるかは別問題。本物の仏として生きるのに毎日努力して生きなければならない。

  

 私は、参加者のたどたどしく不安な声の様子や、「そうだったのか、と後でしか分からないことがある。」などの意見から

 信実と直面する恐れや、人と比べて「辛い、つらい。」と言って泣いていた自分を思いました。しかし人間は、似た者同士なにかも知れないと思う時間でした。