雪子さん

 『雪の日に産まれたから雪子と名付けられた。』弔辞の言葉が耳に残った。

 雪子さんは、外来の点滴中傍に居た私に2時間語られた。「(亡くなった)夫は、キリスト教修道院で育てられた。私には、『もう、あの鐘の音は聞くのも嫌だ。』と言った。開業医の夫は、患者さんを大切にする人だった。人を分け隔てする事は無かった。肝臓病を患い、手立てが無いと分かった時は、とても落胆していた。私が最後まで自宅で看取った。枕元で『今日は何を作りましょうか?』と訪ねて、料理の本を見せて選んだ。吐血したが、声が出ない中で指でトントンと床を叩いて私を呼んだ。」夫が亡くなった一年後、雪子さんは後を追う様に亡くなった。

 私は、雪子さんが居なくなったとは思えなかった。雪子さんの思いは、どこへ行くのだろうか?生きていているとしか思えなくて仕方がなかった。

 もう25年も前の思いでなのに、昨日のことの様に思い出している。