折かけの鶴

 

 数年前の事。友人が「高齢のシスターが作ったのよ。」と言って、聖母子像と共に小さな鶴を10羽持たせてくれた。

 私は、この小さな折り鶴を大切に持っていた。

 小さな鶴を折りながら、ご高齢のシスターは何を考えただろうか?

 この鶴に何かしらの思いが込められているに違いないと思った。

 

 その頃、

 食後の祈りの言葉。

「全ての人のしあわせのために」

 私は、泣きながら「祈って下さい。」と言語障害で、話せないない人たちに日々語りかけていた。

 なぜだか、私の思いは、その方たちには伝わっていると思えた。

 その頃にいただいた鶴だ。

 

私は、

今回、思いが込められたこの鶴を三羽だけ、お借りしすることにした。

 

そしてまた泣きながら、

祈りが通じるように願いを込めながら、粘土を丸めたオリジナルのビーズを作った。鶴を3羽そのネックレスに繋げて仕立てた。

 この願いは、叶うはずだ。

 

 

 朝から、書き起こさなければならない文章に取り組むが、午後は疲れて集中できない。

 

 今日は、一日中強い雨が降りしきる。そんな中、友人から「雨だけどお茶でもしない?」と誘いがあった。

 あー助かった。気分転換をしようと思う。さっそくつくりたてのネックレスを身につけ、大きな傘をさしながら坂道を下った。

 願い事は、まだ折りかけのままだ。