タイサンボクの下で

  日曜日、公園で出会う友人に食べてもらうため、そして娘の所へ持って行くために、

 朝早く起きて、創作おにぎりをたくさん作りました。

 グループラインで伝えると、友人が一人来てくれました。

 友人が到着すると、急に雨が降り出しました。

 仕方ないので、あずまやの屋根の下で、休憩します。

 そして、たくさん作ったおにぎりを食べてもらいました。トンカツおにぎり、ごぼうおにぎり、めんたいこ、味噌ブタ、

 しかし、友人が「おいしい。」と言ったのは、おにぎりではなくて、きんぴらごぼうです。

 やっぱりおにぎりの王様、梅干しには勝てないのかなぁ。

 

 食事が終わると、雨は2時間ほどで降り止みました。

 「晴れたねえ」と友人。

 「少し歩いて見ましょうか」と私。

 公園内の芝生に行くとすっかり乾いてふかふかの絨毯になっています。タイサンボクの咲いている木の枝が、日よけにちょうどいいのでそこにシートを敷きました。

 ラインで娘の帰宅時間を確認すると、夜のかなり遅い時間だと分かりました。(先に確認して置くべきだったなぁ。行き当たりばったりだワ。)

 それで、おにぎりがたくさんあまり、次に食べていただける人を探さなければならなくなりました。それを話すと、友人が夕方にまた残りのおにぎりも食べてくれました。

 旅好きの友人は、北国を旅した時の話をしてくれました。

「とっても寒くて、自分は生きられないと思う。」との事。

 私は、故郷を思い出しました。冬の気温は、零下30度にまでなることがあり、酪農業を営む幼馴染は「年齢を重ねると寒さが体にこたえるよ。」と話していました。

 それを話すと、

「缶に入った美味しい牛乳を飲んだことある?」と友人が聞くので、

 私は、輸送缶(半世紀前には、搾乳した牛乳を大きな缶に入れ、集荷台まで運んでいました)の事かなと思い驚きました。しかしよく聞いていると缶コーヒーのような感じらしいです。

 私の家も酪農家でしたが、生乳は乳臭く飲みずらいため飲みませんでした。また青草をいっぱい食べた牛の牛乳は、乳も青臭くなるので、幼馴染は牛にハーブを食べさせたりして製品化していると聞いた話をしました。

 広い公園のフカフカな芝生を見ている内に、故郷の情景が思い出されました。ゆっくりと草をはむ牛。牧場を流れる小川に小さなメダカがスイスイと、気持ちよさそうに泳いでいました。のどかな風景です。

 晴れて来ると、公園にはたくさんの親子連れが訪れました。

 赤ちゃんがリモコンカーを手に持ってハイハイしています。その赤ちゃんと目が合ってしまいました。そして私のすぐ目の前まで来てしまいます。ちょっと困ったなと思いました。でも、赤ちゃんのお父さんが遠くで見守っていたので、わたしも安心してそっと見守りました。

 赤ちゃんは、困った顔をしています。よく見るとリモコンカーの前後を反対に持っているので思う通りに進まなかったようです。

 それが判ると、遠くで見ていたおねいちゃんが走ってきてリモコンカーの向きを変えました。それで赤ちゃんも方向転換してハイハイしてお父さんの所に戻りました。一件落着。

 

 少しすると、タイサンボクの大きな花を見に若い女性がやってきました。そして

「わぁ~かわいい! いいにおいがする!」と感嘆しています。

 私は、驚きました。大抵は、大きな木で手が届かない所にしか咲かないので

タイサンボクの花のにおいなど知らなかったからです。

 若い女性が去った後で、人の背丈ほどの高さに咲くつぼみの匂いを嗅いでみました。

すると本当に甘いいい香りがします。この花のつぼみは芳香剤のようなとてもいい香りがしました。

 私は、また思い出しました。27年前、3歳の娘と一緒にフランシスコ黙想の家という所に10日間滞在しました。

 そこの大きく広々とした庭のタイサンボクに、ちょうど白い花が咲いていました。そして20年前の勤め先の庭にも、被爆から再生した白いタイサンボクが咲いていたこと。私の住む近くの大学病院にも、玄関が新しくなる数年前まで白いタイサンボクが咲いていました。

 タイサンボクの花は、6月の梅雨時になると白い花を咲かせます。

 31年間、この時期に私の父は亡くなりました。そして今月5日に大切な家族(娘の夫のお父さん)を一人亡くしました。

 5カ月前の事です。娘夫婦の両方の家族が一同にそろって旅行しました。(娘の夫の)お父さんは、こころの温かさが、にじみ出ている様な人です。みんなすぐに仲良くなりました。営んでいる島の民宿を若い人たちの向けにもう一つ作る計画を立て実行している所でした。そして「夏には、遊びに来て」と誘われていました。とても元気であったため私たちには衝撃的な出来事でした。

 お父さんは、突然に呼吸不全状態となり、呼吸苦緩和の意志決定(会話が出来なくなる)を迫られました。娘夫婦は泣き、何が最善かを相談しながら緊張する日々を過ごしました。

 治療で徐々に症状も軽快し、本人の強い希望で「島に帰る。」という退院の準備をしてるところでした。しかし、先日急変しました。

 19日間の間、私は夫とともに祈る事しか出来ませんでした。

 しかし、ちょうど娘と同じ年齢の頃に、夫婦で双方の父親を看取った時のことを夫が思い出してくれました。その時の大変さが一気に蘇ります。何も出来なくても、可愛いい子どもたちにも、何か役立つかもかもしれません。

 大切な家族を看取ることは、本当に負担の大きい事です。息子(娘の夫)は、疲れが出たようです。高熱と蕁麻疹が出てしまいました。

 タイサンボクの花が咲く6月、

 梅雨の晴れ間に香りよく咲く白い大きな花は、天国からのメッセージのような気がしています。

 そんな話をしていると、友人は「また旅行に行きたくなった。」と言いました。

 わたしは娘が幼児の頃の出来事を思い出しました。

 それは日曜日の朝、夫はご飯を炊いて、ふりかけのおにぎりをたくさん作りました。そして公園で家族でそのおにぎりを食べたことでした。