7年前の8月、私は自分のレクチャーの失敗の記録を録音に残していた。
自分でも、何で混乱するのか分からなかったから、時期が来たら検証しようと思っていた。
そのスクーリングでは、10人ほどのグループメンバーで、テーマごとのレクチャーの評価を行う。
私に課せられたテーマは、『信心』についてだった。20分に留めなければならない所を、初回のレクチャーで38分間かかっている。
その当時、仕事はpalliative careへ移動のため、超多忙な中だった。そんな中で、このボランティアを無理強いされていた。
まとまるわけもない事情は、他にも多岐に渡っていた。
疲労と、不安と怯えで傷つけられる女性の声がそこに在った。そしてそれを正直に話していた。
スクーリング時間の最後の方で、遅れて来た宗教指導者が最後にとどめの言葉を放った。
「意味もつながらないしあなたには、温かい所が一つも無い。」
イエローブックというセルフヘルプの本に、宗教指導者による霊的虐待という箇所がある。
そういうことだったのか。
当時の自分に何が起こって居たのか、次第に分かって来た。
友人が送ってくれたメッセージに魂が揺さぶられ、涙がこぼれた。
ありのまま、そのままでよし。
ああ、なんて温かい人なんだろう。
録音の中には、もろくて傷つけられていく自分がいた。
そして今、そんな自分を支持し肯定する私が居る。
友人の温かいメッセージは、時差8時間の場所から、無償で送られてきている。
何よりも、常に分かち合えることが、かけがえのない事のなのだとわかる。
なぜか、胎児をエコーで初めて見た時を思い出した。医師に「待合室の夫に見せたいのですがいいでしょうか?」と尋ねるとOKが出たので夫を呼びに行った。
医師は「エビの様には見えますね。これがお子さんです。ああ跳ねていますね。」と教えてくれた。
私は。その時の感動を思いおこした。