ブルックス山脈を越える

「親友は、何年もブルックス山脈で行方不明になっている…。」

 

 友人が読み聞かせてくれる星野道夫の『旅をする木』の話だ。

 道夫のキャンプは、アラスカで嵐を避けるためにベースキャンプを10分で去らなければならない。

 セスナ機を操縦するドン・ロスは、腕のいいパイロットだが何人もの知り合いを亡くしている。そして次は自分だと思い込んでいる。と、道夫は、ドンの心情を語る。

 しかし道夫は、ドンは悪いカードを避ける飛行技術とは関係ない運というようなものを持っている。という。

 

 

 昨日、町内でフラストレッチのサロンがあった。帰りがけに語った女性を思い出した。

 寒い冬は故郷の情景を思い出す。先週の金曜日は、楽しみにしていた雪が降らなかったので残念だった。とアメリカ人の彼女。

 「雪が降る前の静かな時間。そこに何か不思議な世界があるようで子供の頃は、雪が降り始めて情景が一変するのがふしぎでずっと眺めていた。現代人は、家に閉じこもり自然と触れ合う時間を無くしてしまっているような気がする。それは心にも良くない。」

 日本人のこころを表現しようとする豊かな感性や視点は、翻訳家らしく自然から学んだのかも知れない。

 

 朝、友人と二人。道夫の本を聴き、自然と触れることを忘れているのではないかと我が身を振り返る。

 自然に対する畏敬を忘れてしまうと人は、毒になるのではないか。

 と、分かち合った。

 

 

 セスナ機は、夜という闇を越えて、ブルックス山脈を越え、低気圧をそれて、雲の切れ目から星を見る事が出来た。

 

 さて、私はまだディレクションを求めてどこかを彷徨っている。

 どの辺まできただろか?

 方向は、何となくわかってきた。

 今日もまた失敗の連投をしたのかも知れないが、、それも私らしい。

 運良く、どこかに不時着できることを祈る。