ブルックス山脈

 絵本セラピストの友人が毎週連続で読み聞かせをしてくれる。

 彼女は、はじめに「今日の調子はどぉ?」と聞いてくれるので、

私が「なんだか頭が重いわ。」と答えると、

「あなたのところは、周りがきれいなところだ。ちょっと散歩でもして帰りにあったかいコーヒーでも飲んできたらどぉ。」と、母親のように言う。

 今日の言葉は、言霊のように共鳴している。

 

 そして、彼女が語る大自然の中で生きる人々の話は、私の想像をかき立てる。

 極寒の世界の中で、火を絶やさない様に暮す人びとの話。

 早春のベーリング海ってどんな感じだろうか?

『私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生き延びるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくいその約束を、最もストレートに受け止めなければならないのが狩猟民である。約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置き換えてもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。』

(旅をする木 星野道夫著)

 エスキモーは、動物たちに対する償いのため霊をなぐさめ再び犠牲になってくれることを祈る。この世の掟、無言の悲しみに耳を傾けている。

 誰も犠牲にしない事なんて不可能。生かされて生きている。そんなことに気づいた。

 そして、北のふるさとの山並みが回想された。 

 友人は、北国育ちの私に「アラスカのような寒さを体験した事がある?何か思い出すんじゃない?」と尋ねてくれた。

 故郷の真冬の気温は、零下30度まで達する。息は瞬く間に凍り着き、瞬きで上下のまつ毛が接合してしまった。

 荘厳な凍てついた世界。晴れた日は、サラサラした氷の砂粒がキラキラと光輝いていた。

 そんな話をしながら、死んだ姉を思い出していた。

「姉の分まで生きるんだ。」

 私は、そう思って生きていた頃の自分を思い出した。

 生きられなかった姉へ、

『メッセージが、しっかり届きました。』と伝えて生きよう。

と、自分のこころに言い聞かせた。