キャンバス

 家を出ると冷たい風が頬に当たる。水色の空には、太陽が強い光を放っているため、照らされる頭だけが温かく感じられた。

 今日は、しばらくぶりに友人たちと語り合うために電車に乗った。

 私は、なぜここに居るのかな。という思いが度々頭をよぎってしまう。そんな人生を生きてきた。

 車窓に写る家並みを見て居ると、映画の一場面を観ているような気分になった。まるで、人生の旅路を絵画で観ているようだ。

 この路線を数年前は、通勤で使っていた。その時私が乗っていた普通列車は無くなり、今は途中で乗り換えをしなければならばくなっている。

 友人に会うためには、どこかで乗り換えをしなければならない。混雑に巻き込まれ大きな駅で降りてしまった。階段を昇りそしてホームへ下りた所で、間違えていたことに気づき、また長い階段をの登った。(また惑わされて間違えたな。)と思う。仕方がないから気分を切り替えて健康の為に良かったと思う事にした。

 友人の家に近い駅で降りると、メールがあった。寒いから市バスに乗って来て下さい。と丁寧な案内が書いていある。

 バス停に停まっている運転手さんに聞くと、行先のバス停を教えてくれたので、そこからバスにのった。しかし、友人の指定したバス停には、なかなかたどり着かなかった。

 また運転手さんに聞くと、同じバス停を隣り合わせの市バスが使う為、間違えた。と判った。元の駅までたどり着くと、運転手さんがバスの色と路線を優しく丁寧に説明して下さったので、私ももう間違えようがないな。と思う。

 それで、三度目の正直で友人の家の前のバス停までたどり着いた。

 今日、きれいな水色の空の下で、短い距離で停車する市バスに乗って、ゆっくりと風景を眺められた。間違えたことで友人の住む町の地図が良くわかった。

 そんな話をすると、二人の友人は説明が足りなかったと申し訳なさそうだった。しかし、今日は時間にゆとりがあり、間違えた事を楽しんでいたことを説明した。

 久しぶりに再会して、私は友人たちの元気な顔に安心した。おいしいラーメンのある食堂を経営したいという友人が、北海道の醤油ラーメンを〝試食して欲しい〟と用意して待っていてくれた。菊水(北海道産)のメンが手に入った。と嬉しそうに見せてくれる。

 久しぶりに会ったので、みんな少しだけ歳を重ねていたことがわかった。

 親ほどの年上の友人は、3日前に転倒したらしく腕が腫れていた。骨折は無かったの。と何気なく言う。そして彼女は、さらに15歳年上の高齢者のボランティアをしている。もはや達人レベルの生き方だ。

 半日のほとんどは、おしゃべりで過ごした。

 4年前までは、全く知らい同志だった。偶然に出会い、いつの間にか生きる事の深い意味を語り合う様になっていた。

 友人は、凍らせたラーメンの沢山の出汁と醤油ダレをを持たせてくれた。5kg程ありそう。その重さと共に思いやりもいただくことにした。

 

 帰りがけのバス停は、友人の家のすぐそばで間違えようがなかった。

 そこに若いカップルがいた。そして路線がどうなっているのか、どちら方向にバスが進むのかを問題にして話していた。そこで私は、今朝友人宅に行くのに、バスの乗り方をすっかり間違えてしまったことを話した。

 私は、間違いながらも駅からこのバス停までの進行方向を示す事が出来た。

そこにある地図の説明では、どちらが東京であるのか分からなかった。そこが問題であると、3人で確認した。しかし、どちらにしてもこのバスに乗れば、生きたい駅にはたどり着ける確信が得られて一件落着した。

 

 到着した駅からの帰りの電車の座席は、まばらに空いていた。空は、水色に薄く夕焼けのグラデーションがかかり次第に夕闇に包まれて行った。

 電車を降りると、宵の明星が輝きを放っていた。