忘れていたこと

 終末期へのケアだった。
「あなたは、どんな子供でしたか?」
「困難な時、どのように乗り越えて来ましたか?」と言う問いかけに
 家族を残して旅立つ準備をしていた専業主婦の彼女は、
「夫は、優しいだけじゃだめなのよ。」と語った。私には分からなかったが、その意味を問うことはしなかった。
 しばらくして、兄弟との葛藤があったが和解したのだと語られた。
 週一回の訪問は、ハイカロリー輸液のチューブ交換と感染確認だった。
 彼女は、清潔操作に不備が無いか、チューブへのプライミングが適切か観察眼があった。
 他の同僚は、それがひどく緊張したと話していた。
 食事は、ほとんど食べられなかったが話をしたいようだった。
 いつも「今日は、何を話そうか?」と楽しみに待っていてくださった。
 ある時、「お汁粉を作ったから食べて欲しい。」と言われた。
 私は、擬似妹になっていたようだった。私の姉は、嬰児で亡くなっていた。姉がいれば、沢山話すことができただろうと思った。それでいただくことにした。
 彼女は、どんどん腹水がたまり、緩和ケア病棟に入院した。
 詳しくは知らされていなかった。
 彼女は、命に限りがあるなら、最後は家族と過ごしたいと望まれた。緩和ケア病棟で質問された担当者は、嘘は言えなかった。と語った。
 彼女は、自分の意志で最後の一週間を自宅で過ごした。

 もう20年も前のことを、昨日のことのように思い出した。