遠方の夫にオンラインで、囚人が出てくる物語の朗読を聞いてもらった。「人間て囚人みたいなものだよね。」と私が言うと、
夫が「そうそう、“魂の囚人“とギリシァ人が言ってたけどね。心では、どんな人間でもいいことを望むんだけども、肉体という鎖に繋がれていて、心では良いことを思ってても、身体は悪い事をしてしまう。怠けてしまうし、意志と反対のことをしてしまう。悲しい人間だ。」
私が、「すごいね。誰が言ってたんだっけ。」と聞くと
「昔のギリシャ人がそんなこと言ってたよ。」と夫。
「へぇ~。」と私。
「ギリシャ人は、二元論と言って人間は、魂と肉体から出来てるんだって。で、魂は肉体に閉じ込められてるんだって。」と夫。
「本当それ、最近は科学的に分かって来たよね。」と私。
夫は続ける。「で、魂は、どんな人間もより良いものを求めるんだけど、手枷足枷となっている肉体がそれに従わないんだって。だから哀れな魂の囚人って言うの。」
「うんうん。すごくですね、深い。ギリシャ人に学べだね。」
「パウロが同じ事を言ってるよね、私は良い事を望むが悪い事をしてしまう哀れな囚人だ。」
40分の朗読で、疲れて頭が動がない私は、「あー魂は、どうなってるんだ?」とつぶやく。
すると夫が、「ギリシャの哲学は、イディア論と言ってね。永遠不滅の魂のイデアの世界が本当の世界なんだって。ところがある時私たちの魂は、現世と言う仮の世界で肉体に止められてしまうんだって。本当の世界は、イデアの世界。肉体の世界に魂が閉じ込められてるから。で、私たちは、昔住んでたイデアの世界を憧れる。だから、なんていうかな。愛とか正義とか、そういうものに憧れるんだけれども、現世ではそれと逆のことをしてしまうんだ。イデア論て言う。二元論ていう。」
「あーそういうのが二元論なんだ。思いと、行いが…」
「矛盾してしまう。有限なものは、どうしても欲望とか、憎しみとか、そういうものに振り回されてしまう。」
「あーすごいね。なんかあの〜先生みたいね。(昔、夫は教師をしていた。)
二人で“ハハハ“と笑う。
「哲学でそうなろた。」
「しかしあの〜やっぱり人生に振り回されちゃうのね人間ってね。」
それから夫は「何かいいことはありましたか?」と聞いてくれたので、話しているうちにとうとう
90分授業になってしまった。
夫は、好きな漫画を描いていて、勉強し直すことが多いとのこと。
私は、自分の思いを書くことで日々自己承認をしている。