モッピング

 週に一度、友人が読み聞かせてくれている物語りが一つ完結した。

 それは、少年が人の為に行動しながら自らが変えられて行く話だ。最後は、「マーテーボージャー(神の母)。」とウクライナの女性が語る言葉で終わる。私は、その言葉がポーランド語の「マトカボージャ」似ているな。と思った。

 そして、ある一人のポーランド人を思い出した。

 金曜日の19時の聖堂。そこに集まった数人の人々が、小川の流れのように静かに黙想する声。

 私は、先唱をしていた。メディテーションを好む彼は、穏やかな笑顔を見せていた。

 彼は、人種差別に耐え忍びながら自らの地位を築いてきた。今や、その社会的地位は、誰からも尊敬されるものであるに違いない。

 

 しかし私は、一気に悲壮感に陥ってしまう。

 地位や名声という上辺も、行動が伴わない人の言葉は、人のこころを平安にすることは無い。

 

 さらには、弱いものが傷を深くえぐられてしまう。そんな現実がある。 

 不安な人が、弱いものを襲う。しかしそんなことでくじけないように、、と

 友人が、「新しい物語を作ってみたら、」と勧めてくれた。

 私は、自分の弱さに目を向けて、表現していかなければならない。そう気づいた。